aちゃんのじゆうちょう

美少女戦士になりたい大学生 aちゃんの自由帳

恋と革命

エリカ様が逮捕されてしまったので。

 

もう2ヶ月も経つけど、映画『人間失格 太宰治と3人の女たち』を観た。

 

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えっと、まず言えるのは…

これは平日朝イチの授業前に恋人と観る映画ではない。

 

いや〜酷かった。酷すぎてずっと笑ってた。

小栗旬演じる太宰治のクズっぷりがね。

 

だけど、男って程度はあれど根本的にはみんなああなんだろうな〜と。

上映後、私が太宰治を酷評しながら彼氏に「ちょっと共感したでしょ?」と訊ねたら、ちょっとどころではなさそうだった。(こんなことを書いたら怒られるかもしれない)

女も女で正妻以外は酷かったけどね。

 

この映画は同性の友人と観るのがいいよ。

そして女性は悪口大会を開こう。

男性は勝手にしてください。

 

そしてなによりエリカ様がかわいい。

「恋をすると居場所がないのね♡」

というセリフがとんでもなくかわいかった。太宰の

「大丈夫。君は僕が好きだよ」

に続く破壊力の強さ。なんなんだこの映画は。

 

 

〜人間は、恋と革命のために生まれてきた〜

 

 

沢尻エリカ演じる太田静子の言葉(を太宰がパクった言葉だそう)だ。私はああいうタイプの女は嫌いだけど、彼女の意志の強さ・図々しさはもはや尊敬の域だった。

『斜陽』、読んでみようかな。

 

 

あんまり言いたくはないけど、私は平均より恋愛体質気味だと自覚している。実際、片想いでもいいから常に恋愛していたいタイプ。読む小説も観る映画もついつい恋愛モノを選んじゃうし。好きなんだよね、恋愛。

さすがにこの歳になって恋に恋してるわけではない(と信じたい)けど、そういう側面もゼロではないかもしれないね。ぶっちゃけ初恋〜現在で好きな人がいなかった期間、たった半年だけだし。異常だよ。

私はそれを良いとは思ってなくて、だから「恋するために生まれてきた」とは絶対に言えない。だってそれってすごく薄っぺらい人間のように感じない?恋にばっかり夢中な女って、思春期ならともかく大人になるとみっともない。恥ずかしい。

私は今日までずっと本気で恋をしてきたと、それは絶対に本物だと、恋は私の成長に必要不可欠だったときっぱりと言い切れるのに。どうしてもそんな風に思ってしまう。

 

私はさっき太田静子のことを “ああいうタイプの女は嫌い” と言ったけど、心のどこかで羨ましいのかもしれない。

あんなにまっすぐに恋をしている彼女が。

不倫をしているのに堂々としている姿が。

「恋(と革命)のために生まれてきた」

と胸を張って言える彼女のことが。

 

 

 

【ブログ書きながら聴いてたソング】

 

 

お料理?日記 #001

私は家事ができない。

未来予想図 - aちゃんのじゆうちょう

 

先日、ブログのネタがないと話したら彼氏の口から『料理日記』という単語が出てきた。

話している相手が私だってこと忘れちゃったのかな?却下。

 

だけどもしかしたら、ブログのネタ作りを目的に料理をしていたらいつの間にかできるようになってるかもしれないよね。大学を出るまでに7日分のご飯を作れるようになるって目標もあることだし、少しずつやっていかないと。

 

ってことで。

2019年ではじめて包丁を持ったよ。

 

いや、ふざけてないよ。冗談でもない。
ママには2018年も持ってなくない?って言われた。

久しぶりに包丁を持ったら楽しくなってきて、とりあえず振り回してみたよ。いいね、包丁。

 

それでなにを作ったかって?

 

いやいや奥さん。

まさか私がここでパパッと料理を作れるとお思いで?


あれだよ、あれ。


一日一個で医者いらずの禁断の果実。

ほら、蜜がたっぷりで美味しそうでしょ?

 

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りんごの皮むき。

これはね、中2のときに家庭科でテストがあったから練習したの。

 

昨日の夜中にりんごをむいてたら、お風呂から出てきたパパがびっくりしてた。今まで生きてきて、私が包丁を握ってるのをはじめて見たんだって。

 

ちなみにりんご一個をこの状態にするのに10分くらいかかった。これは料理とは言えないよね。こんな調子だから、私が料理上手になるまでの道のりは長そう。

 

だから今回のタイトルは『お料理?日記 #001』

#01と迷ったけど、まともな料理を作れるようになるには3桁は必要かなって思ったから、ちゃんと続けられますようにって願いを込めて#001にしたよ。それまでブログ自体を続けられてるといいな。たぶんしばらくは料理と言えないものばかりだと思うけど、ゆっくり成長を見守っててね。

 

 

 

【ブログ書きながら聴いてたソング】

「伝言歌」

「伝言歌」

 

死ぬ覚悟と生きる希望

舞台『カリギュラ』を観た。

 

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残念なことに、ここで私がカリギュラの内容と考察を語るのはちょっと難易度が高すぎる。たぶん見当違いな薄っぺらいレビューになってしまうから、最後のほうで少し言及する程度に留めておこうかな。うん、そうしよう。

 

そしてこれはあまり大きな声では言えないんだけど、前半4分の1くらいは菅田将暉の美しさに圧倒されすぎて台詞が全然頭に入ってこなかった。あとで原作の戯曲をあたってみよう。(先に読んでおけよな)

 

なんと言っても、主演の菅田将暉は私の大好きな俳優、いわゆる “推し” 。そうでなければ観に行くこともなかった作品だからね。

 

PR案件 - aちゃんのじゆうちょう

 

今回は演出と役者にフォーカスしたレビュー(ネタバレ含)をするよ。私は高校演劇レベルしか知らないっていう前提で読んでね。語彙力は今ここに棄てるよ。

 

まず、音響と照明がやばかった。

え?って感じの音の使い方すんの。突然の大音量にちょっとびっくりしたりもするけどね。

照明なんて、演者に当たってる光の元を辿ってって天井付近見ちゃったよ。これどっから当ててんの?って。とにかく影の使い方が上手かった。もはや影ばっかり見ちゃう。特に最後の場面。なんなのあれ。言葉にできない感動。私もあれやりたい。

 

次に、空間の使い方。

縦横奥、ちゃんと余すところなく使うんだね。休憩が終わって後半の序盤、カリギュラが女装して宙に浮いてて「ええええええ」って感じだった。びっくりの二乗。

なんていうか当たり前だけど、観る人を飽きさせない構成だなって思った。めっちゃ視線が動く。カリギュラの登場と最期の場面以外は上下左右あちこちに動く。

もちろん場面転換も。まったく滞らなくてほんとすごいなって思いました(小並感)。

 

最後に役者さんたちの演技。

みんなすごいのよ。なんであんなにセリフが聞き取りやすいのか。しかもひとつひとつのセリフが馬鹿みたいに長い。ワンシーン分でも覚えるのめっちゃ時間かかりそう。特に菅田くんの長台詞はすごすぎる。

 

いや、本当に菅田将暉すげえなって思った。

テレビとか映画でもわかるんだけど、生で見て実感した。2時間半くらい最初から最後まで所作も表情も全部カリギュラなの。そこに菅田将暉は一切いないんだよ。登場シーンはビビったね。うわぁなんなんだあれは…私の知っている菅田将暉ではないぞ…と。

役柄がね、なんかDV男にありがちな早口で怒鳴った直後に小声で優しく話したりする情緒不安定系だった(私にはそう見えた)んだけど、それも意味わからんくらい上手いんだよね。途中バレリーナ姿で踊ってたし。これ、役落とし込むのにどれくらい時間かかったのかな…とか考えちゃった。とんでもなく膨大な労力を費やしてるはずで、それを観れたのは本当に光栄だったよ。

そして、舞台が終わって出てきたときに「うわっ菅田将暉だ!!!!!」って。そこにいたのは紛れもなく菅田将暉だったんだよ。カリギュラはいなかった。切替すげぇ…プロだ…って思った。

 

カリギュラは、愛していた人を亡くしたことをきっかけに暴走をはじめる。その悲しみによって変わってしまったように思えたが、彼は愛する人を1日で亡くしたことよりも、その苦悩も続かないという事実に気付いて、それが苦しいと言っていた。愛なんてとりとめのないものだとも。

たしかに。どうなんだろう。苦悩が続かないことで、自分では愛していたつもりなのに、思っていたよりも彼女を愛せていなかったように感じたのかな。深く愛していたら、悲しみや苦しみから解放されるはずがないと。でも苦悩も永続しないことに気付いてしまった。それで絶望して、愛を信じられなくなったのかな。どうなんだろう。わからないな。もしそう考えるなら、ロミオとジュリエットのように愛する人と死ねたらある意味幸せなのかもしれないね。カリギュラが気付いて苦しんでいる事実に気付かないまま死ねるから。

でも、もし私が突然死んだとしても周りのみんなにはそう長く悲しまないでほしいなぁ。まあ多少は悲しんでくれないと寂しいけど、できるだけ早くいつも通り元気に戻ってほしい。だって悲しみが消えたからって私を愛していた事実は消えない。その事実さえあれば私は充分生きていける…って死んでるのか!まあとにかく私はそれだけで嬉しいよって話。今後誰かを失ったときに、また何か気付くことがあるかもしれないね。

 

以上、見当違いな薄っぺらいレビューでした。

 

《追記》一緒に行った友人が感想をSNSに載せていたんだけど、彼女の解釈を読んだら心にスッと入ってきて、たぶんそっちのほうがカミュの言わんとしてたことに近いだろうなと思った。すごく良かった。けどまあこれもこれで残しておこう。

 

 

そういえば

“一度菅田将暉を生で見るまでは死ねない”

と思っていた私だけど、実際に彼の芝居を観たら

“明日からもがんばって生きよう”

と思えた。このことを私を舞台に誘ってくれた友人に話したら名言が返ってきたので、今回はそれを紹介して終わろうと思う。

 

〜推しってすごいよね、死ぬ覚悟と生きる希望を与えてくれる〜

 

 

 

【ブログ書きながら聴いてたソング】

Love Story

Love Story





書きたい

ネタがない。

 

いや、厳密に言えばあるんだけどね。

くだらなすぎるか、しっかり時間をかけて丁寧に言葉を選びたいような内容ばかりで、パパッと書けてかつ人様にお見せできるようなネタがない。喩えるなら、焼き魚定食が食べたいのに卵かけご飯か懐石料理しか選べないみたいな感じ(?)

 

 

そういえば、ブログを開設したことでほぼ毎日一定量の文章を書く習慣ができた。同時に、教材や本ではない他人の文章を吸収する習慣も。そのぶんInstagramを眺める時間が減った。

これはすごくいいことだと思う。Twitterでもできなくはないけど、あれはちょっと違う気がする。あんまり頭を使ってないし。私にとって頭を使わずにペラペラ喋ってるのがTwitterだとしたら、それなりに考えて話してるのがブログ。他人が喋ってるのを流し聞きしてるのがTwitterで、ちゃんと聞く気で耳を傾けてるのがブログ。

インスタ?あれは見れば見るほど馬鹿になる。

※あくまで個人の見解です。これからも使うし好きだよ

 

 

文章を書くうえで私が大切にしたいポイントが2つある。

 

ひとつは、読みやすさ。

「あれ?最後まで読んじゃった。読む気なかったのに」がベストだと思っている。素材を生かすも殺すも、書き手の技術次第だよね。

 

もうひとつが、おもしろさ。

ここで求めてるのは、funnyではなくinteresting。教養のある文章を目指したい。文章力というより人間力だけど、打てば響くような人でありたいし、それが滲み出るような文章を書けるようになりたいと思う。

 

どちらも一朝一夕でできるようになるものではなく、どこからが合格という明確なラインが提示されているものでもないし、その上限もない。

良い文章を生み出すにはやっぱり数をこなす必要があって、でも普通に生きてたら特定の誰かへ向けたメッセージを書くとき以外で胸の内を文字にして可視化する機会は意外と少ない。

今まで学校で感想文や意見文をたくさん書いてきたけど、それも大学の卒論で最後になるかもしれない。その卒論には自分の経験や理想や感情は持ち込めない。

このまま文章を書かなくなっていくのは、なんとなく悲しい。どうにかしてこの先も書き続けられないかな。

 

いつか私を知らない人が私の文章を読んだとき

「この文章を書いた人に会ってみたい」

と思ってくれたら、絶対嬉しいよね。

やっぱりそういう機会のある仕事をしたいなぁ。なんかないかな。

 

だって「ネタがない」とか言いつつ1000文字以上書いちゃったんだもん。

女の命の話

髪を切った。

 

顔も体型も服装も変わらないのに、髪型や髪色の変化だけで印象もガラッと変わるよね。胸下から顎下くらいの長さになったんだけど、首がスースーして落ち着かない。

 

中学生の頃、部活の都合で髪を切ったら似合わなすぎてもう一生しないと心に決めた。一生しないと決めたのに、5年やそこらでその決心を破ってしまった。人生そんなもんだよね。

 

そうは言ってもかなり悩んだ末の決断だった。なんせ元の長さに戻すには2年もかかる。20代の幕開けを長い髪と共に迎えるか、多少の未練と共に切り捨てて迎えるかで気分も変わってくるし、成人式当日にアップヘアができなくなるという点もあって非常に悩ましかった。

が、なんとなくさっぱりしたかったので切ることにした。結果、切ってよかったと思う。

 

髪を切って良かったことは

・周りからの評判がいい

・指通りがいい

・頭が軽い

・気持ちも軽い

・髪を洗うのがゾッとするほど楽

・乾かすのも意味わからんくらい楽

 

髪を切って困ったことは

・朝少し早く起きないといけない

・首がちょっと寒い

 

こんなもん。

 

今回はすごく上手に切ってもらえて感動した。

次に短くするときがきたら、また同じ人に切ってもらおうと思う。その美容師さんの一押しは外ハネスタイルなので練習したいとは思っているけれど、なんせ朝は起きれない。

 

これを機に早起きする習慣がつくといいなぁと思いながら今日もアラームを止める。

 

 

未来予想図

私には、未来が見える。

 

 

何年後かはわからないが、実家のリビングで泣きながら母親の手料理を食べる私が見える。

 

 

一人暮らしをしたいと嘆く友人が多いなかで、私は今後しばらくは絶対に実家を出たくないと思っている。

 

たしかに、一人暮らしなら夜遅くに家に帰っても怒られないし、自分の好きなタイミングに好きなだけお風呂に入っていられるし、外泊し放題、友人も泊め放題。魅力的だ。

でも私は一人暮らしをできるほど成熟した人間ではない。なんといっても生活力が乏しすぎる。

「家事、しなきゃいけない状況に追い込まれれば嫌でもできるようになるよ」

と一人暮らしする友人は言う。本当にそうだろうか?

私は間違いなく終わってしまう。すべてが中途半端になり、精神もろとも破滅してしまうだろう。そもそも、ひとりの時間は欲しいけど家でひとりぼっちは寂しい。ますますスマホに依存してしまう。

 

そしてとにかく家事ができない。やらないとも言える。そう、これはただの甘えだ。だって、できることなら一生ママが作ったほかほかご飯を食べて、ママが沸かした熱々のお風呂に入って、ママが干してくれたふかふかの毛布に包まれて眠りたいんだもの。これを読んだ彼氏に幻滅されようが私はいっこうに構わない。

 

私は!一生!ママの!ご飯を!食べて!生きていきたい!!!です!!!!

 

でもそれが無理だということは理解しているし、私ももうハタチになるから自分ひとりでご飯を作れるようになりたいとは思っている。とりあえず社会人になるまでに、ママに頼らずとも夜ご飯を7日分作れるようにはなっておきたい。と付け足しておこう。彼氏は私が家庭的でないことよりも、いつまでも親離れできそうにないことのほうが問題だと捉えると思うからね。

 

ただ、料理ができるようになったとしても、先日述べたように私は時間の管理がヘタクソなのでそこで苦労するのは目に見えている。↓

 

あったらいいな、こんなもの - aちゃんのじゆうちょう

 

1日24時間ではとても足りそうにないよね。

 

私がどのタイミングで何をきっかけに親元を離れることになるかはまだわからないけれど、毎日自分で家事をするようになって、やってみたら全然出来なくて、しかも社会は思ったよりずっと厳しくて、家に帰ってもひとりで寂しくて、プライベートも上手くいかなくなって、疲れ果てて実家に帰ると、自分がいつも食べているものとは比にならないくらい温かくて美味しいご飯がでてきて、それを泣きながら食べる図が見える。見えるよ。

 

 

両親は、私が結婚するときに

「なにもできない娘ですけど」

と言って差し出すつもりらしい。

まさかそれが謙遜ではなく真実だとは、フィアンセも思わないだろう。

 

そもそも、こんな娘が結婚できると思っていること自体おかしな話なのだが。

犬の距離感の猫

無視すればいいのに毎回出てくれちゃうからつい電話をかけてしまう私が今日も元気に彼氏の話をするよ。犬や猫の話ではないのでイライラする人はUターンしてね。ごめん。ちなみに彼は犬や猫並みにかわいいし、私は実際に電話を無視されたら泣くよ。

 

 

いつも自分からかけるくせに、電話が繋がった後の第一声は彼の「もしもし」を聞きたいという謎のこだわりがある。

昨日は彼の声を聞いた瞬間、

「いいこと思いついたの!いつもなかなか切れなくて長くなっちゃうから、今日はお風呂からかけてる!のぼせそうになったらおしまい!すごくいい考えだと思わない!?」

と、とっておきのアイデアを披露したはずが、スピーカーモードにしたせいでほとんど聞こえていなかったらしい。

「いいこと思いついたの?」と聞き返され、同じ説明をくり返す羽目になった。

 

基本的にあまり会えないから、なんとなく週1くらいで私の気分が乗った夜に電話するけど、毎回全然切れなくて困っている。次の日が早かろうが話題が尽きていようが、名残惜しくて切れない。さすがに申し訳ないから次回は終わる時間を決めてちゃんと切ろうと決心するも、切れず。結果、昨日はお風呂に1時間半も入った。馬鹿なのかな?

それどころか、いつも自分からかけてばかりで悔しいからしばらく電話かけるのやめよ〜!と思うのにその誓いを守れたことはない。普通に考えて、放っておけば嫌でもかかってくるのに自分からかけようと思うわけがない。馬鹿なんだな。

 

 

ところで私は日頃から『猫系女子』になりたいなぁと思っているのだが、この調子なので到底なれそうにない。そもそも本物の猫系女子は彼氏の話をブログに書かないし、おそらく彼氏にどう見られるかなど考えたりもしない。まして、好かれたいがために猫系を演じるなど言語道断だ。

 

以前彼に「犬の距離感の猫と猫の距離感の犬、どっちがいい?」と聞いたら「圧倒的に犬の距離感の猫。でも犬の距離感になったらそれはもう猫じゃない」と言われた。全くそのとおりだ。

 

が!!!

彼が犬の距離感を選んだということは「気まぐれでそっけないより、ちょっとしつこいぐらい懐いてるほうがかわいい」と思っているということだ。きっとそうだ。そうに違いない。そうであれ。

 

 

そんなわけなので、今日もダル絡みしてきます。